2013年11月23日土曜日

もう何度も見たんだけど・・・

ちょっと詳しく見たら、驚くようなことが入ってた。

「シックス・センス 英語版

この映画にはいろんな謎が隠されている。
冒頭にある半裸の男は、ある指示を受けて立っていた。
実は、ストーリーの裏話としては、その男は「コール」を意味している。
児童心理学者のマルコムは、コールの精神治療にあたっていた精神科の医者のことだ。
だから、これは実話を元にしたもので、事実を捻じ曲げて事情を隠した形にしてあるようだ。
その男が半裸であるわけは、児童虐待を意味している。
犯人は精神科の医者ではなく、母親が連れてきた男だったと思う。
その医者は、コールに適切な治療を行おうとしたが、罠に嵌められて殺されたようだ。
コールはそのことを知らない。
だから、死人として医者が出てくるのだ。

実は、このシーンは半裸の男にマルコムを銃で撃てとの指示があった。
そして自らも銃で自殺しなければならなかった。
でも、その男は自殺するつもりは無かったはずだ。
にも関わらず、人を銃で撃った後のことを考えると、どうしても自分は生きていてはいけないという精神状態に追いやられる。
そして、ストーリーのとおりに死んでしまうのだ。

この話が持ち込まれたのは、コール役のハーレイ・オスメントの母親からだろう
冒頭のシーンで、治療を受けていた彼がどういう人だったか言葉を残している。
「静かで利口な子だった。親切で、思いやりがあった。」

コールとマルコムとの会話で解ることは、突然2人は会えなくなったということ。
母親は息子に、先生には会いに行くなと言っている。
この時既に医者は母親に殺されていたようだ。
そして、母親が連れてきた男が周囲に対してその医者の名前を使っていた可能性が高い。

マルコムが書き物をするシーンだが、手を見れば老齢の人だと解る。
恐らく別の映画のシーンを持って来たのだろう。
「闇の底より主に訴える」というのはその時の言葉だ。
マルコムが幽霊だからちょうどいいと思ったのだろう。
だが、この映画でそれを使ったということは、死んだ者が映画を見ている人に訴えていることになる。
そして、事実が暴かれるのだ。

コールと母親のシーンでは、棚の扉が全部開いていたという心霊現象を描いているが、実は犯人が存在している。
母親と連れてきた男だ。
2人ともは扉を開けっ放しにする癖があったらしい。
また、ネクタイを取り替えるのに、洗濯前の汚れている方をわざわざ身に付けさせていたようだ。
おまけにテーブルに手のあとがついているシーンでは、母親がコールの背中を思いっきり叩いてその跡が消えなかったのを誰かが目撃しているのだ。
コールの友人関係も、壁があったようだ。
もちろん各友人の母親が自分の子を脅迫するのだ。
「言うこと聞かないと、あの子を殺すわよ。」と・・・。
恐らく、本人は嫌われていると思っていただろうが、実際は違うということだ。
それから、各友人の母親は子供に嘘やでっち上げ、作り話をするよう命令していたのだろう。
コールはずっと日常的にそれを聞かされていたと思う。

マルコムとコールが心を読むゲームをするシーンでは、母親が医者のところに行ったという事実が浮かび上がっている。
それは秘密なのである。
しかし、詳細が明らかにされている。
「スクリュー・ドライバー」だ。
それを使ったようだ。

母親の指の爪が真っ赤だったので驚いた。
何か意味があるのかと思ったのだが、やはりスクリュー・ドライバーを使うくらいだ。
人間の体をバラバラにする作業をするのだから、爪が赤く染まってしまうのではないだろうか。
更にはそれを隠すために派手なネイルを塗ったりするのではないだろうか。

父親のことを聞くシーンでは、「見つけてもらいたくてわざと忘れ物をしたり・・。」という台詞が入る。
たぶん父親の死因がそこに隠されていると思う。
そして「自由連想文」。
コールは以前に医者からそれをやるように言われていたようだ。
「静かにしないと、貴様らを殺すぞ。」なんていうのは、日頃言えないことを文章にぶつけていたってことだ。
「貴様ら」というのは、母親と連れてきた男のこと。
その男は汚い言葉使いで、道にツバを吐くようなやつらしい。
おまけに「スケベ」のようだ。

それから、授業で1790年から1800年までの間、「フィラデルフィア」がアメリカの首都だったと言っている。
聞いたこと無いけど・・・。
調べたら、ネットにはそう書いてある。
考えられるのは、嘘をホントにするために記録の書き換えが行われたということだけだ。
その時にコールが、学校が以前どんな場所だったかの問いに「絞首刑をやった所」と答えている。
先生の答えは「裁判所」だ。
同じことなのだが、コールの方が正解。
当時は裁判という形ではなかったからだ。
こんな風にその場所で起こったことが浮かんでくるという現象が起こることがある。
それはそこに残された残像によるものだ。
その残像は遺伝子の記憶に刻まれている。
そうだな・・・まるで砂鉄で絵を描くように浮かび上がるようなものだと言える。

その時にコールが先生のしゃべり方が変だと嫌悪感を顕わにしている。
問題はしゃべり方。
つまり、標準語ではない訛っている言葉のことだ。
答えは、英語圏の人ではないということ。
そんな人がそこで教師をやってはいけないのだけどね。

友人のバースディパーティーでは、小部屋に閉じ込めたのは母親だろう。
なんで叫び続けたのかということだが、たぶんそこには死体があったのだ。
母親がドアを開けようとするのは演技で、鍵もなく開いた理由は母親がドアを押さえていたからということ以外には無い。
だから、母親はその小部屋に死体があったことを知っていたことになる。
周りは皆母親の所業を見ていたのだが、死体が発見され騒ぎなったおかげで、母親のことはほとんど話に挙がらなかったようだ。

背中の傷は、他の子を連れてきて撮影したようだ。
体型が違う。
その時の女優の顔が怪しい。
その傷と関係があるんじゃないだろうか。

友人が出ているテレビに八つ当たりするシーンがある。
これはちょっと複雑な秘密のことで、ペンダント事件として会話を成り立たせている。
ペンダントとは、首に掛ける縄のこと。
つまり、首吊りシーンで死体を吊るしたことについて、コールがそれに対して嫌悪を向けたからだ。
だから女優の指示で、そのシーンはコールに別の子を混ぜて加工した映像になっている。
女優がすごい剣幕で怒っているが、何だか事実を入れると地が出てくるみたいだね。
本気だから迫力があって、それを利用した映画作りってあるみたいだ。
抱き締めるシーンも明らかに自分の子を抱いているような顔だ。
やっぱり想像で演技ができない人がいるんだね。

コインで手品をして見せるシーンがあったが、手品とは真実を隠して真実を元にシナリオを作ること。
どうやら、そういう形だと見る方は面白くないらしい。

「ヨ・ノ・キエロ・モリル」
この言葉が予言に関係するものとしてシナリオライターの目に触れたようだ。
その後、そのことばかり考えてしまうようになって、話が飛んでいるね。
これは元の言葉を英語に訳してそれをまた日本語に訳すと「世が消える者見ず」となる。
だから「死にたくない」なのだ。
つまり、この世が終わる時それを見る者はいない・・・世の終わりには誰も地球に存在していないだろうということだ。
ノストラダムスの予言にそういうのあったね。

お葬式のシーンはよくわからない。
それがアーサー王の劇に繋がっているんだろうけど・・・。

あとは丸く治まったかに見えるが、最初のシーンでマルコムが死んだ理由がまだ解決していない。
これは一切台詞に入っていないことだ。
だが、演技に出ている。
誰がマルコム(精神科の医者)を殺した本当の犯人なのか・・・。
もう解るね。
医者は自分の奥さんに薬で眠らされ、家に来たコールの母親にスクリュー・ドライバーで頭をかち割られて死亡したのだ。
それを奥さんは夫の部屋に鍵をかけて隠していたのだ。


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