2013年9月27日金曜日

粋な台詞

「どうしたんですか?・・あなた、何も無かった日なんてあります?」
「ああ、昔ね。木曜だったかな・・・。」

この何とも粋な台詞を吐くのは、「I, Robot」のスプーナー刑事。
久々に見つけて、思わず夜中寒がりながら見入ってしまった。



あとで、またいろいろ思うところを書きに来ようかな。
吹替えで字幕は気にしないで見て下さい。



原則1
ロボットは人間を傷つけてはならない。また、人間への危険を見過ごしてはならない。

原則2
原則1に反しない限り、ロボットは人間の命令に従わなければならない。

原則3
原則1と2に反しない限り、ロボットは自己を守らねばならない。

どう見ても、この映画のロボットはロボット見えず、どういう風に人間との区別をつけているのか解らなかった。
これらの原則があること自体ロボットが人間であることの証明にも思える。
それは、自己判断機能が備わっていることを示し、単なるプログラムで動いていないからこそ「ねばならない」という言葉で決められている。

では、ここに出てくる人間とはいったい何者なのか。
恐らく、仕事をしていない人のことで、あるいは仕事を持っていても会社や機関に拘束されていない自由行動ができる人たちのことだろう。
逆に仕事をしているロボットは、人間に対してはとても礼儀正しく、思いやりの言葉を常に発している。

ロボット嫌いのスプーナーだが、それは自分自身がロボットであり、事故が起こった時に自分しか助けられなかったことが発端になっている。
サラという女の子を助けられなかった・・・・これは原則1に反していたのだ。
こうしてみると、まるでロボットは優れたもので、堕落した人間よりも何倍も価値があるように思える。
スプーナーはその優れたものになれなかったという劣等感をロボットに対して持っている。
ロボットだって間違いを犯すことがあるはずだ・・・・そう思いたいがために、常にロボットに対して疑いの目を向けていた。

ラニング(Lanning)博士は「プランニング(Planning)」から来ている。
つまり、このロボット開発の発案者であり、この計画が完全なものでなかったことが博士を自殺へと追い込んだ。
だが、人間は自殺することはできない。ロボットが人間なのだから・・・。
この場合は「プラン」そのものが粉々になったと言っていいだろう。

その原因となったのが、最新鋭のロボット「サニー」だ。
サニーは、原則を守りながら、別の思考で自己判断ができる。
それは、ロボットが堕落した人間のために働くものとした計画を打ち砕いた。

サニーが夢に見た光景は、最後に実現する。
だが、絵の中でそれは隠されて鉄橋に置き換えられている。
本当はそこにあったのは別のもので、恐らくサニーがそれを自己判断ができるようになったロボットたちに見せる日がやってくるのだろうと思う。


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